2017年 06月 21日
雨 |
あの日、母と私はどこへ行こうとしていたのだろう。白い割烹着を着たおばあちゃんが、玄関の戸口に立って見送っている。その頃、私は5歳か6歳だったはずだ。何十年も年月が経った今、そんなにはっきりとした記憶が残っているわけもないのに、それを覚えている気になっているのは、アルバムの中に、白い割烹着を着て戸口に立つ、おばあちゃんの写真があるからだ。思い出の中で、母も私も長靴を履いて傘を持ち、レインコートを着て手をつないでいる。記憶には写真と同じように色も音もない。ただ静かに降る雨が、古い映画のフィルムノイズのように時おり白く光っている。家の前を通り過ぎようとした時、塀の間に見える庭に目をやって、母が言った。「おおおきなカエル!」
小さな家の小さな庭には、それにふさわしい小さな池があった。父がコンクリートを固めて作った池だ。池の水面に雨が水の輪をいくつも作っている。イチジクの枝がその上に張り出している。池の淵の、雨に黒く濡れた石の上に、見たこともないような "おおおきなカエル" が座っていた。
私は、東京の下町で生まれた。下町とは言ってもその辺りは比較的静かな住宅街で、その路地には、私の生家とは比べ物にならない大きなお屋敷が数件あった。その一軒にジョンというセッターがいて、私はいつも追いかけ回されて泣いていた。ジョンに触ってみたいのに、いつもそれができなくて逃げるから、ジョンは喜んで私を追いかけた。
私が50歳を超えた頃、東京から引っ越して嫁ぐ迄のあいだを暮らした横浜で、母と待ち合わせたことがあった。食事の後お茶を飲みながら、どういうわけかこんな話になった。「お母さんはいつも雨が降ると、傘と長靴を持って迎えに来てくれたよね」と私が言うと、二人きりだったからか、もうそんなことを話す機会は二度とないと思ったのか、母はこんな風に言った。「雨が降るとホッとしたの。おばあちゃんと二人きりで家にいると息が詰まったから、雨が降って迎えに行けるのが嬉しかった。」と。小さな頃は、自分を中心に、自分たち家族を中心に世界が回っていた。雨を降らせるような雲の欠片すら存在するはずはなかった。母の心の中はいつも穏やかに晴れ渡っているものと信じていた。おばあちゃんは、私の母親の悪口を一切言わなかったし、母も私の祖母の愚痴を言ったことはなかった。
母は、私が中学生になっても高校生になっても、雨の日は傘と長靴を持って迎えに来た。おばあちゃんが死んで、私が大学を卒業し社会人になっても、急な雨があれば、駅の改札口に、傘と長靴を持って待っている母がいた。
夜、布団に入ると窓の外の雨の音が聞こえる。静かに穏やかに降る雨の音だ。
雨の季節に、夜の闇と瞼の中の暗闇が一つになる時、必ず枕元にあの "おおおきなカエル" が現れる。いつの間にか記憶の中に住み着いたカエルは、人間ほどの大きさになって、老人のように背中を丸め、両手を揃えて座布団の上に座っている。笑っているように目を細め、カエルの夢を見て眠ってる私を見つめている。長い間、母やおばあちゃんの思いを食べ続けてきたのかもしれない。
心のどこかに、あの下町の路地があって、ジョンに追いかけられて泣いている私が今もいる。雨が降ると、母と私は長靴を履いて傘をさし、手をつないで何処か知らない場所に出かけてゆく。
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by kakoneko-nyan
| 2017-06-21 14:27
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