2017年 05月 22日
ディスタント ドラムス |
KAKONEKONONIWA
この花は形が定まらない。花びらも厚く枚数も少ないことが多くて、ミステリアスな色にしては物足りない花だと思っていた。どうしたことか今年は一番に、巻きが多く柔らかい質感の優美な花を咲かせた。美しいグラデーションと、何によりもその魅力的な名前に惹かれた花だ。
「遠い太鼓」は、1990年に出版された村上春樹の旅行記の題名でもある。バラの方は1985年にアメリカで作出されているから、もちろんこの本の題名からとったわけではない。村上春樹の「遠い太鼓」には、トルコの古謡からとったという表記が "あとがき" にある。しかも美術評論家・酒井忠康の「遠い太鼓 日本近代美術私考」と重なるので、了解をとったという記述さえある。もう一つ思い当たるのは、ゲイリー・クーパー主演の古い映画「遠い太鼓」だ。とは言っても、フロリダのジャングルが舞台で、インディアンとの冒険活劇だから、このバラのイメージとは程遠い。ただし、ハリウッド映画に対するアメリカ人の感覚なので、違うとは言い切れない。この映画の二番煎じとも言えるような「遠い喇叭」というトロイ・ドナヒュー主演の作品も1964年に公開されている。映画演劇科出身の春樹さんもこの二つの映画を知ってたに違いない。バラの名前は映画からとった可能性もあるし、本と同じようにトルコの古謡だったのかもしれない。花を見た直感的なイメージというのも考えられる。何れにしても多くの作家が「遠い」という言葉の響きにこだわっていることは確かだ。
村上春樹が何冊か翻訳しているトルーマン・カポーティにも「遠い声 遠い部屋」(河野一郎/訳)という作品がある。猫氏も作品のタイトルにこの「遠い」をよく使用する。「遠い夏」「遠い日」は小品の題名に度々登場する。地理的な間隔ばかりではなく、時間の経過、人と人との距離。愛情や感情、願望、思いの度合い、痛みなど。「遠い」という言葉のあらわす意味は様々だ。人の心に内在する、現実にはありえない時空を表す言葉でもある。一輪の花の絵や風景画の「遠い・・・」というタイトルは、花や景色を包む時空を鑑賞者の心に委ねてしまう。
子供の頃、午後3時には必ず家に帰っていた。古い映画を放映するテレビ番組「名画座」が始まるからだ。子供には相応しくないフランス映画をどれだけ観たことだろう。テレビドラマ「サーフサイド6」で活躍したトロイ・ドナヒューは初めてファンになった映画スターだ。座右の書は「映画の友」や「テレビジョンエイジ」。アメリカのテレビドラマやフランス映画に夢中になった。バラの名前に触発されて、心の中の遠いどこかで、ほこりをかぶった時計の針が動き出す。この年齢になると、遠い先はもうありえない。あるのは遠い過去だけで、その響きもおぼろげに遠去かって行く。
by kakoneko-nyan
| 2017-05-22 01:56
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