2017年 03月 03日
セミダブルのクリスマスローズ |
花びらに囲まれた小さな世界で、何が起こっているかなんて、誰が想像するだろう。
その朝早く、彼女は降ってきた通り雨で乾いていた喉を潤した。雨は暖かい春の日差しにキラキラと光っていた。ふっくらとした雌蕊はほどよく湿って、彼女が受け入れる準備は全て整っていた。甘い香りのする風が何かの予感を孕んで、花びらを優しく撫でて行ったのかもしれない。あるいは、白い体毛を花粉で黄色に染めた猫が、花びらを揺らして行ったのかもしれない。誰も知らない何かの偶然が全ての始まりだった。小さな花びらの中で起きる出来事を、誰も予期することはできなかった。
いや、もしかしたら、彼女自身がすでに何かを持っていたのかもしれない。親族の誰かが、恐ろしいほどにエキセントリックだったとか、病的に潔癖だったとか、自分でも認識していなかった隠れていた性格が、突然、出現したということだってありうる。
何れにしても、私はこんな所にセミダブルのクリスマスローズなんて植えた覚えはない。通路のレンガの淵に、それもリュウノヒゲの強い根っこに絡まっていたものだから、いつも抜いてしまおうとして、抜けきれずに生き残っていた零れ種のクリスマスローズ。もう何年も同じ場所にいて、とうとう諦めたある日、花を咲かせている事に気付いた。どうせつまらない花だろうと摘み上げてみたら、なんと、お上品なセミダブルの姫君だった。こんな事ってあるんだ。
ある園芸の趣味家が、知り合いの庭に行って、「これいい具合に斑が入って良くできているなぁ」と感嘆すると、「それ、君にもらった実生苗の一つだよ。ほら覚えていない? どうせ捨てるからって沢山くれたじゃないか」と言われ驚愕する。
たいていの趣味家は馬鹿らしさに気づいて実生を止めてしまうんだ。と猫氏は言う。そう言う猫氏も昔は沢山の実生をしていた。
小さな一つの苗が持っている可能性は五分五分だ。見た事もないような素晴らしい花が咲くかもしれないし、そうではないかもしれない。イリュージョンの箱の中みたいに、そこで何が起きているかなんて確かめる事はできない。素晴らしい何かが潜んでいると期待しても、人の力でコントロールする事は不可能だ。毎年、放っておけば数え切れないクリスマスローズの実生苗が出現する。しかし、その全ての可能性を生かしてやる事はできない。
だからこそ、こんな神秘的な偶然に驚かずにはいられない。どんなに煌びやかな都会の賑わいよりも、高価な宝石の輝きよりも、そんなものの足元にも及ばない興奮が、自然には満ち溢れている。
生命はどんな些細なものでさえ、誕生にまつわる神秘性を含んでいるものだ。植物の造形や色彩に惹かれたり、あるいは、人目を意識して並べ立てるだけが園芸の楽しみではない。植物の持つ、生命の持つ神秘性に触れることができるからこそ、園芸家は植物を育てる事をやめられない。今日も私は、セミダブルの花を摘んではひっくり返し、驚嘆のため息をつく。
by kakoneko-nyan
| 2017-03-03 01:44
| 庭